リオパラリンピックの車椅子バスケットボール日本代表に選ばれた鳥海連志選手。

まだ高校2年生の17歳なんです。もちろん最年少の代表選手です。

鳥海連志選手は、両足、両手に障害がありますが、それを克服していまや世界レベルと言われる車椅子バスケの選手へと成長し続けています。

そんな鳥海連志選手の経歴や両親、兄弟などについて調査してみました。

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プロフィール

名前:鳥海 連志(ちょうかい れんし)

生年月日:1999年2月2日(17歳)

出身地:長崎県長崎市

中学校:西海市立大島中学校

高校:長崎県立大崎高校2年生

所属チーム:佐世保車椅子バスケットボールクラブ

鳥海連志の経歴

鳥海連志選手の生まれは長崎県長崎市ですが、小学校6年のときに父親が単身就任していた長崎県西海市大島町に、母親に伴われて引越ししました。

鳥海連志選手は、生まれた時から先天的にすねの骨がなく、両足が内側に曲がっていました。

曲がっていた足を伸ばそうとギブスを巻いたこともありましたが、子供の自由を奪うだけでまったく役に立たなかったそうです。

両親は、手術して足を残すか切断するかと悩みました。足を残す手術をした場合は長い入院生活を余儀なくされる。小さい時から元気よく動く子供だったので、母親は「こんなに動く子を縛り付けたらきっと楽しくないだろう」と切断することを決意します。

鳥海連志選手がぜんそくが収まる3歳まで待って、両足の膝下を切断したそうです。

ご両親にはつらい決断だったと思いますが、鳥海連志選手は膝下に義足をつけることで以前より動き易くなったそうです。

鳥海連志選手は、手も右手が4本、左手は2本という障害があります。

鳥海連志選手は、0歳から長崎市にある「菜の花こども園」に通っていました。

体を使った遊びが大好きで、障害のない友だちと一緒になって遊んでいたそうです。

のぼり棒や逆上がりも自分で工夫してできるようになったとのこと。これって凄いことですね。

5歳のときには、腹筋が割れていたそうですので、どれだけ頑張ったでしょうかね。

先生たちは鳥海連志選手に考えるきっかけと時間を十分に与えて、チャレンジする姿勢を応援してくれたそうです。

鳥海連志選手は、「菜の花こども園」について次のように語っています。

菜の花には学童保育も含めて12歳までお世話になりました。楽しくて大好きでした。僕、5歳のときに腹筋が割れてたんです。どれだけ体を使って遊んでたのか(笑)。誰かにできるなら、僕にも絶対にできると思ってました。菜の花に行ってなかったら、いまの僕はなかったと思います。
引用元:週間ヤングジャンプリアル14

鳥海連志の両親と兄弟について

鳥海連志選手の父・鳥海隆一さんは造船会社に勤めています。

鳥海隆一さんはかつてバスケのフォワードをしていました。

母・鳥海由理江さんはバスケ部のマネージャ、1歳年上の兄・鳥海大樹さんは小学校からバスケを初めて、現在は大学でプレー。鳥海ファミリーはバスケ一家なんですね。

鳥海連志選手には、10歳年下の妹さんがいます。鳥海連志選手の個人練習のお手伝いをしているそうです。兄妹の仲が良くて微笑ましいですね。

母・鳥海由理江さんは、鳥海連志選手が障害を持って生まれたことで、どう育てていいか悩んでいたこともありますが、「自分が連志の足にある」と決意したそうです。

また、鳥海連志選手に常に言い聞かせていたのは、「限界を自分で作るな」ということです。

リオパラリンピックのテーマ「限界のない心」と通じるところがありますね。

鳥海連志選手は、そのようなお母さんの教えに本当に感謝しているそうです。いまの鳥海連志選手が車椅子バスケの日本代表として活躍しているのは、母・鳥海由理江さんのお陰と言ってもいいですね。

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鳥海連志と車椅子バスケットボール

鳥海連志選手が車椅子バスケを始めたのは、中学1年のときでした。

その前はテニス部に所属していましたが、女子バスケ部のコーチから車椅子バスケを勧められたことがきっかけだそうです。

もともとお兄の大樹さんがバスケに熱中している姿をみて、バスケに憧れていたそうですが、コーチからの誘いは断っていました。その理由は、「自分がプレーするなんて想像ができなかった」そうです。

コーチから何度もバスケの話を持ちかけられたことで、鳥海連志選手は佐世保車椅子バスケットボールクラブの練習を見学にいくことにしました。選手から勧めらて競技用の車椅子に乗せてもらいましたが、操作が難しく真っすぐ前に進むことも苦労したそうです。

選手たちはその車椅子を自在に扱い、一般と同じ高さのゴールに次々とシュートを決めていくことに、とても驚きました。一方何も出来なかった自分が悔しくて悔しくて仕方がなかった。

もともと負けず嫌いの鳥海連志選手は、そのときに「自分も選手と同じようになりたい」と思いそれ以来車椅子バスケの虜になったそうです。

その後めきめきと力をつけ、15歳のときに九州代表として出場した全国ジュニア選手権大会で優勝した立役者となりMVPとなっています。

また、のじぎく杯では、長崎県選抜で出場して決勝に進出。対戦相手は強豪のNO EXCUSEと対戦して敗れたが、そのときのプレーが日本代表監督の及川晋平さんの目に留まりました。

そして試合から1ヶ月後、鳥海連志選手は初めて代表候補の合宿に招致されました。高校1年生16歳という若さで最年少の日本代表メンバーです。

及川晋平監督は「将来の可能性を考えてのことではなく、即戦力として欲しい選手だと思ったんです」と期待を寄せています。

20169月に始まるリオパラリンピック、鳥海連志選手は車椅子バスケットボール日本代表に選ばれました。競技開始からわずか4年ほどで代表になるって脅威の成長ですね。

鳥海連志選手の特徴は、次のようなことが挙げられます。

  • スピードおよびクイックネス
  • チャエスキル(車椅子の操作技術)が高い
  • ドリブルが巧い
  • 相手のパスコースを読んでスチールする能力
  • 相手選手への素早いチェックや激しいプレッシャー

上記の特徴はすでに国際レベルに達しています。

車椅子バスケットボールの選手には障害のレベルにより1.0-4.5の持ち点が決められています。コート上の5人の持ち点の合計が14.0を超えることはできません。

(クラス分け)
[1.0] 腹筋・背筋の機能が無く座位バランスがとれない為、背もたれから離れたプレイはできません。体幹の保持やバランスを崩して元の位置に戻す時、上肢(手)を使います。脊髄損傷では第7胸髄損傷以上の選手で、基本的に体幹を回旋する事ができません。
[2.0] 腹筋・背筋の機能がある程度残存している為、前傾姿勢がとれます。体幹を回旋する事ができる為、ボールを受けたりパスしたりする方向に体幹の上部を向けることができます。脊髄損傷では第10胸髄から第1腰髄損傷までの選手ですが、残存能力には個人差があります。
[3.0] 下肢にわずかな筋力の残存があり、足を閉じることができます。骨盤固定が可能となるため深い前傾から手を使わずにすばやく上体を起こすことができます。第2腰髄から第4腰髄損傷の選手及び両大腿切断者で断端長が2分の1以下の選手です。
[4.0] 股関節の外転を使って、少なくとも片側への体幹の側屈運動ができます。第5腰髄以下の選手及び両大腿切断で断端長が3分の2以上の選手、また片大腿切断で断端長が3分の2以下の選手です。
[4.5] 片大腿切断で断端長が3分の2以上の選手や、ごく軽度の下肢障害を持つ選手です。どんな状況であっても両側への体幹の側屈運動が可能です。
引用元:日本車椅子バスケットボール連盟

鳥海連志選手のクラスは「2.0」です。通常「2.0」以下の選手は、腹筋・背筋が利かない選手が多いが、鳥海連志選手は体幹は問題がないので、実質的に「3.0」以上の能力を発揮できます。

コード上にいる選手の持ち点が14.0 以下というルールを考えたとき、この点でもチームとして鳥海連志選手を使うアドバンテージがでてきますね。

もう1つ鳥海連志選手の特徴は、成長スピードの速さです。

及川晋平監督は、「いろんな選手のプレーを盗んで、実戦でやっちゃう。

言ったことをすぐ読み取って結果につなげていくし、純粋に天才だと思う」と語っています。

鳥海連志選手の名前連志は、「高い志を持ち続けるように」との願いを込めて命名されたそうです。今回のリオパラリンピックを1つのステップに、さらなる高いレベルの選手に成長していくことを期待したいと思います。

まとめ

鳥海ファミリーは、父親がフォワード、母親がバスケ部のマネージャ、兄は小学校からバスケに熱中しているというバスケ一家です。

鳥海連志選手は、その影響もあり中学1年のときに、女子バスケのコーチから車椅子バスケを勧めらたことがきっかけで、車椅子バスケをやるようになりました。

その後は驚くほどのスピードで成長して、高校1年16歳のときに日本代表に選出されました。

鳥海連志選手は、日本代表では最年少ですが、スピードやチェアスキルは国際レベルに達していますので、リオパラリンピックでは大活躍してくれると思います。

将来は、「この選手すげえなと思われたい」と言う鳥海連志選手。高い志を持ち続けて、世界で通用するプレーヤーになってほしいと思います。

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